シューティングゲームの歴史(第1章 第21節)

1980年代へ入るとシューティングゲームは大きく変化を遂げていきます。

■ 転換期

 1980年代に入ると、シューティングゲームは大きな転換期を迎えます。 日本ではギャラクシアンの登場に続き、日本物産社からは「ムーンクレスタ」(1980, 日本物産)が発売されて人気となりました。 それまでは同じ面が延々と繰り返されるだけだったゲームが 「面ごとに違う種類の敵が攻撃をしてくる」「敵が分離、あるいは変形する」というものに変化していくようになっていきます。 しかし、当時のコンピュータのスペックでは豊富な敵を用意するにも限界があるため、 数種類の敵が攻撃してきた後には自機が脱出して一巡し、 再び最初の敵が攻撃を仕掛けてくるというループゲームのままでした。 また、ムーンクレスタ独自のものとして「敵の動きに緩急があり、よりトリッキーに動く」 「敵が奥行き方向に移動をする(当たり判定は残ったまま)」という部分があった点も見逃してはいけません。

 ムーンクレスタが当時エポックだった点は、 敵の種類が面ごとに変化する点だけではなく、 それらの敵達に対応するために「自機がパワーアップする」という概念が持ち込まれたところにあります。 パワーアップをすることで戦況を有利に持っていくこと、つまりプレイヤーが戦況をコントロールすることができるようになったのです。 ムーンクレスタはそれまでのゲームのようにプレイヤーの持ち機が3機ありますが、 それぞれが異なる機体となっています。 そしてこれらが「合体する」ことで複合的な攻撃を行い、より強い攻撃を行うことができるようになるのです。

 この「合体する」というギミックを面白いものにしているのは各機体が非常に個性的な設計をされているためで、 1号機は機体が小さくショットも1発で従来のゲームと同じ設計となっていますが、 2号機は機体がやや大きくショットが2連装であり、かなりの強さを誇ります。 では3号機は2号機よりももっと強いのかというとそうではなく、 ショットは2連装であるものの、機体が大きすぎてショットの撃ち出し位置が離れており、 敵がショットの間を抜けやすいというデメリットが用意されています。 つまり「各機体の弱点を補うためにいかに合体を成功させるか」という、 このゲームにおいて非常に重要となるファクターを前面に押し出すようなデザインが行われているのです。 また、合体すると各機体のショットを1号機 → 2号機 → 3号機と順番に連射できるようになるのですが、 各機体のメリット・デメリットが生かされ、急激に強い攻撃を行えないようになっている点は評価されても良いところだと思います。

 それから、ムーンクレスタでは敵が出現したときの音、飛来したときの音、 それから破壊した際の音がそれぞれの敵ごとに用意されている点も評価が高いです。 SEのバリエーションが深まることでゲームにもより深みを与えることになったことはそれまでのゲームとは随分と違っていました。 ギャラクシアンはインベーダーよりも視覚的に進化したと考えるならば、 ムーンクレスタはギャラクシアンの一歩先に進み、 聴覚的にも進化した初めてのゲームということができるでしょう。

 同じ時期、アメリカではATARI社が自社の発売したコンシューマ機「ATARI2600」(1977, ATARI)へと移植した「スペースインベーダー」(1980, ATARI)がブームとなる一方で、 ひとりの天才によりベクタスキャン方式のゲームが開発され、まったく別の道を歩んでいくことになるのでした。