パチンコ業界の受けたダメージを調査

どれくらいの打撃を受けたのか

インベーダーブームの際にダメージを受けたというパチンコ業界には実際、どれくらいのダメージがあったのかを調べてみました。

客観的に見える数字として営業所数というものがあるので、警察白書を使ってデータを拾い集めてみました。集めたのは「パチンコホール」、「喫茶店」、そして「雀荘」です。雀荘を入れたのは近しい営業形態だからです。ゲームセンターに関してはインベーダーブームの際に行われた本格調査までは具体的な統計を取っていないようで、ゲーム上と言えばギャンブルブームで検挙数が多かったメダルゲーム場などが多く、また、しっかりした数値では統計を纏められていなかったため割愛*1しました。

このグラフを見る限り、インベーダーブームが来る前のパチンコホール9,000店舗後半から10,000店舗へ伸びる傾向を示していて、パチンコブームの到来が見て取れます。しかし、インベーダーブームの影響で1978年以降は年間平均にして約350店舗程度が減っていき、パチンコブームが始まる前の1974年前半くらいまでの店舗数に一旦下がっています。全体数の比にして約0.7割、決して小さい数字ではないと思います。その後、1980年にフィーバー機が出たこともあって、再び増加に転じて順調な伸びを示しています。

一方、インベーダーブームを底で支えていた喫茶店は店舗数の増加が顕著で、インベーダーブームの動きに合わせるかのように1978→1979にかけては2,000店舗増、ブームがピークとなった1979→1980にかけてはなんと6,000店舗増という数字になっており、なんとも面白いグラフになっています。以後、堅調に増加していっているようですが、1984年に9,000店舗増になっているところが気になります。この年の喫茶店は今のところまだ管轄外なので機会があれば調べてみたいところです。

そして、雀荘。こちらは1978年辺りから徐々に減っているようですが、警察によるギャンブルの取り締まり強化が影響しているとも取れますが、かなり緩やかな下り曲線となっているので純粋に他のレジャーに客が取られていった、と見るのが良さそうです。

*1:メダルゲームのみを扱う店舗数と副業としてメダルゲームを扱う店舗数がありますが、年度によってどちらを使うかは書き手次第、ということでデータが飛び飛びになっている。