風営法改正にゲームが括られた理由

爆発的に増加している

1985年2月13日、風俗営業等取締法が改正案が施行され、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(以下、風営法とする)となったときにゲームセンターはその括りの中に入れられてしまいました。これはその昔、子供たちでも遊ぶことが許されていたパチンコが、パチンコの結果として「生活必需品」を提供する店舗が増えたために風営法で括られてしまった、ということと経緯が似ているかもしれません。

インベーダーブームの際にも似たような問題はあり、スペースインベーダーのハイスコアを叩き出したプレイヤーに対して、ウィスキーやドリンク券などの景品を提供する喫茶店やスナックが現れたことがありました。これらの行為はあまりにもプレイヤーの射倖心を煽るものとして、全国各地で喫茶店やスナックが摘発される、という事件になって報道されています。また、このような行為だけでなく、当時流行っていたゲーム機賭博の問題も風営法で括るための根拠となってしまった感は否めません。メダルゲーム機は景品を出すことができないものであるということで風営法の対象外となっていましたが、機械を違法に改造して現金を投入させて現金を払いだすという形で遊べるようにしたものが蔓延していました。徐々に非常に規模が大きくなりつつあるこの違法賭博は、もちろん暴力団の目にも留まり資金源となっていくようになります。

インベーダーブームから風営法の改正までにはかなりの隔たりがあり、他にも何か重要なファクターがあったのではないかと思って調べてみました。警察白書を見てみると、風営法が改正される前年は以下のような状況にあったことがわかります。

遊技機を設置し、客に遊技をさせる営業のうち、風営法の規制を受けないものにゲームセンター等がある。これらの店舗においては、ポーカーゲーム等のテレビゲーム機等を使用した賭博(とばく)事犯が56年後半から急激に増加し、強力な取締りの結果、一応の鎮静化傾向をみせてはいるが、58年のゲームセンター等における賭博(とばく)事犯の検挙件数は1,671件、検挙人員は8,482人、これらの検挙に伴い押収した遊技機及び押収賭(と)金は1万 3,002台、約7億6,000万円に上っており、更に継続した対策が必要である。

風営法改正案が国会を通過したのはこの年の1983年8月、この警察白書の内容は1983年10月時点のデータであるので時間的には前後していますが、「ポーカーゲーム等のテレビゲーム機等を使用した賭博(とばく)事犯が56年後半から急激に増加」という点が風営法適用の引き金になったことは否めないような気がします。試しにデータを拾い集めて図にしてみたらこれらのゲーム賭博は増加が著しいことが見て取れます。1億に満たなかった押収金額がたった数年で8億近くに伸びていますから、著しいというよりはもはや「異常」と言ったほうが良いかもしれません。

ここで風営法が改正されたときに追加された条項を引用して見てみます。

スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(国家公安委員会規則で定めるものに限る。)を備える店舗その他これに類する区画された施設(旅館業その他の営業の用に供し、又はこれに随伴する施設で政令で定めるものを除く。)において当該遊技設備により客に遊技をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)

本来であれば、ビデオゲームはスコアというものを表示はしますが、その結果にによって何かを供するということはありません。しかし、前述したような事例が条文の中にある「本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いること」に引っかかってしまったわけです。もちろん、ゲーム業界側も黙って見ているわけではなく、「賭博を助長する特定機種を規制対象とすればよい」などの意見を出したようですが、それは聞き入れられなかったといいます。当時の国会答弁で警察側の考え方は「内容が健全かどうかということと、賭博に使用できるかどうかということは別問題として考える」「もし内容によって区別し、除外する機種を設けたら、それを利用する脱法行為を助長し、悪徳業者を却ってはびこらせてこまった状況になる」というものでした。

しかし、私がもっと引っかかったのはゲーム業界が発した「インベーダー自粛宣言」の元ネタです。実はこれ、改正前の風俗営業等取締法を参考に作られたもので、警察の指導が入っていたことを考えると既にレールの上に乗せられていたのではないか、と思うのは邪推でしょうか。


参考文献:警察白書アミューズメントジャーナル、読売新聞