Wikipediaの質を上げる方法を考える

結構前にこんなエントリを書きましたが、実際にWikipediaの質を上げることを考えてみると一番良い方法は手持ちの文献をもとにして現在ある文章をクリンナップするということです。元々からしWikipediaは「知らされたこと」を書くようなシステムになっているのでこれは最低限やらなければいけないことと言えるでしょう。同時に誰かが検証できるように文末にはその文献を挙げることが重要です。

「知の集合」とは知識を集めることが可能な場所とも考えられます。ひとりの人間が多くの文献を蒐集するのは場所や時間、それから金銭的にも限界が出てきますが、世界に散らばる人が手持ちの文献を持ち寄れば少ない情報が集まって大きな情報となります。塵も積もればなんとやら、というわけです。逆に検証というプロセスもしかり。

特定の分野に興味を抱く人はまったく別の分野に興味を抱かないこともままありますが、何かの本を読んだときに丸で別の分野のことについて言及されることがあるということはよくあることです。それがたった数行でも意味を持つ場合もありえます。そうなってくると質的に文献蒐集というのは限界が出てくる訳です。またもやスペースインベーダーのケースに挙げますが、「孫正義がインベーダーで儲けた」というのはゲーム系の本を読んでいるだけではまず見かけることがありません。少なくとも私はゲーム系以外の本で見つけた記述でした。

面白いことに「孫正義がインベーダーで儲けた」ということは一旦加筆された形跡があります。しかし、文献を挙げないために削除されていました。どこかで聞きかじったか、単にWeb検索して知ったことを書いてしまったのでしょう。繰り返しになりますが、Wikipediaまとめサイトではありません。しかし、ここにWikipediaの質を挙げる方法がひとつ見えています。それは「自分の書棚に良き文献をがない人は敢えて参加しないというスタンスを採ることが肝要である」ということです。どんなに記憶力に自負があったとしても憶えていることを書いてはいけません。記憶というのは非常に曖昧なものですし、特に「どこで情報を得たか」ということはどんどん欠落していくものなので、そのような自負を抱いても結局は過信以外の何ものでもないことをいつか痛感するでしょう。

調べ物が好きな人ならば図書館に入り浸たって文献を漁ることくらいは苦ではないと思いますが、そんな酔狂なことをやってまでWikipediaに参加する意味はほとんどないでしょう。Wikipediaの執筆が人生最大の趣味というのであれば止めたりはしませんが、Wikipediaがそれを常に望んではいるとは思えませんし、本格的に調べ物をするくらいの技量があるなら自分でサイトを起こして系統だった情報を発信したり、専門誌に寄稿したほうがモチベーションは上がるでしょう。なぜなら、Wikipediaの記事になってしまえば、あなたが書いた文章はコミットボタンを押した瞬間にあなたの手から離れてしまうのですから。

つづく・・・かも?