ひとつの節目

徐々に書き足している「STGの歴史」ではありますが、イカれたPCからデータをサルベージしてドキュメントを整理したところ、遂に第1章が50節を超えました。まだまだ調査が甘いのですが、自分の中ではある種の達成感がわきました。これからも少しずつ加筆していこうと思います。

インベーダーブームを生んだ喫茶店ブーム

インベーダーブームの頃を再び調査していました。当時、非常に重要な拠点となったのは喫茶店でした。これは以前の日記でその占有率がどれほど大きいものだったかを紹介しました。

しかし、どうやらインベーダーブームに合わせてテーブル筐体を置き始めた喫茶店は言ってみれば後発組で、ブームになる3年ほど前から喫茶店にはテーブル筐体が設置され始めたことが始まりだったようです。

それまでアップライト型だった筐体がICを利用することで小型化に成功し、テーブル筐体が生まれました。そして喫茶店内に設置できるようになったこと、これが主だった原因ですが、その背景にはオイルショックがあり、安価なレジャーへ消費者の意識が流れたことが間接的な原因だと、任天堂の駒井部長(当時)は分析しています。

そのレジャー意識の変革によって、喫茶店は「戦後最大のブーム」と呼ばれるほどになり、過渡期を迎えた後は生き残りをかけた生存競争の時代に入ります。そこに登場したのがテーブル筐体であり、当時は筐体の設置に風俗営業法の規制が掛らなかったため、導入するところが増えていったそうです。

そこにインベーダーゲームが登場、遊ぶのに待ちが生じるほどのブームとなり、空いているゲーム機を求めて彷徨う人を取り込もうと後発組の喫茶店が設置を始めた、ということがインベーダーブームの背景となったのでしょう。「喫茶店=ブーム培養基説」という仮説が謳われている記事もあります。

また、別の分野で歴史を調査していたとき、喫茶店には手品などをネタにしたミニコミ誌の走りみたいなものが存在しており、コミュニティを作っていました。ですから、何かが起きれば、爆発的に口コミで広がっていくような土壌はあったと十分考えられます。

それから、Wikipediaの項目「喫茶店」には、以下のように書かれていました。

1970年代 - スペースインベーダーの登場にはじまるアーケードゲームブームが興り、多くの喫茶店にテーブル筐体が設置された。ゲームが子供の教育上よくないと思われたことにより、学校の校則に喫茶店への入店を制限するものが日本全国でみられた。

Wikipedia「喫茶店」(最終更新 2009年7月3日 (金) 04:18)より引用

出典がないのが気になりますが、ゲームをやりたいがために喫茶店まで行ってしまう子供が後を絶たなかったのは想像に難くありません。

もう少しブームの背景を調査して、またドキュメントのほうへ反映しようと思います。

ネタを仕入れた

また数冊、調査のために本を買ってきました。黎明期の話はよく端折って書いてあったり、古い情報を出自に使ったものが多いので、そういうものを集めて、破片となった情報を積み重ねて自分の文章を厚くしていきたいところです。

ちょっと前に出た本の中では「ポケモンを創った男」の文庫版も買いました。ゲームフリーク第1号が織り込まれていて話題になった本の文庫化です。文庫化にあたってはダ・ヴィンチ誌上で羽海野チカと対談したものが収録されています。

ついつい

新キャラなんかも入れてみる

プログラムなんかを見ているとついつい弄ってしまいたくなるようで、気がつくと昔描いた1面用の差し替えドット絵も持ち出して序盤を作り直していました。放置はしていますが、根っからの作りモノ好きなんでしょうか。思いつきで新キャラなんかも入れてしまいました。

ゲームに乗せてみた

違和感ありまくり

昨日描いた地形パターンを使ってマップをリプレースしてみました。当時のキャラとは描き方が違うから非常に違和感を覚えます。やはり何かを作るときは一気に作成しないとダメですね。プログラムを久々に見たら、6面の途中までデータを打ち込んでいて、あとはモアイをプログラムして配置していくというところまでやってありました。ちなみに、6面は上下無限スクロールをします。

久々にマウスを握ってみる

地形パターンを描いてみた

ドット絵も久しく描いてないなぁ、と思ったので、ちょっとだけ地面のパターンを描いてみました。3年ぶりくらいでしょうか、意外と点の打ち方を忘れてないものですね。元々それほどうまいわけではないのですが、自分の中では以前の2面よりうまく描けているということで満足。