泣いて笑ったパチンコ業界(加筆)

少しだけ資料が得られたので加筆しました。

私はパチンコの歴史はまったくの門外漢*1ですが、末尾に挙げた参考文献には「インベーダーとパチンコ業界の関係」や「三共フィーバーにどうして火がついたのか」という点まで詳しく書いてあり、非常に読み応えがある本でした。

その本を中心にパチンコ業界がどのようにインベーダーブームをどう捕えていたのか、そしてどのように立ち向かっていったのか、という辺りを追記したので、単体でもそれなりに読み応えがあるボリュームになったように思います。

このように加筆するのは楽しいのですが、先の年代までどんどんと雛形作成を進めていきたいという気持ちもまたあるのですが、なかなかうまく資料が得られなかったりしてどちらも難しいと最近よく痛感します。

*1:STGの歴史も執筆しながら知ったことのほうが多いくらいですから

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ゼビウス試作段階のキャラ

試作キャラは形が判別できるかが重要

昔の雑誌を調査していたら、ゼビウスの試作段階(第1稿)で作成されたキャラについての記述を見つけました。ログイン1983年5月号「The Making of XEVIOUS」です。

「試作段階では戦闘機なのかヘリコプターなのかが判別できれば良い」と書かれている通り、実際に利用されているドット絵もまだラフの状態で書かれたものが多く、発売された段階の細部まで描き込んだものと比べると雲泥の差があります。いくつかあるキャラの中でタルケンとカピのドット絵を起こしてみました。雑誌から白黒コピーした際に色が飛んでしまっているので、載っているものとは若干異なるかもしれませんが、ドットを数えて起こしなおしたので概ね合っていると思います。

テラジなんかも文中で「当初カウボーイハットのようなキャラとしたかった」と言われていたように、そのような形になっていますが、それより驚いたのがアンドアジェネシスです。なんと第1稿では円盤の形をしており記事にも遠山茂樹氏がクリンナップした絵が掲載されています。このアンドアジェネシス、記事によると「海辺に落ちているウニの抜け殻」をモチーフにデザインしたそうで、多くのゲームデザイナーが言う「ゲーム以外にも目を向けろ」の典型だと思いました。ただ、この円形アンドアジェネシス、「風月堂のゴーフルみたいだ」というある意味垂涎(?)の評価が下された結果、もっと立体感を強調した現在の形に描き直されたとか。しかし、ゼビウスが他のゲームとの差別化を図るために取り入れた「グラデーション」を生かすのであれば、この「立体的」というキーワードは必須だったのではないでしょうか。

この記事は試作段階のキャラ以外にも、ゼビウスの企画から基板のシェイプアップのことまでナムコ開発室の発言を交えて構成されているので、ゼビウスを語る上での資料的価値は高いかもしれません。

ズンズンブロックの画面を再現

これがインベーダーの前身となるゲーム

またYoutubeにて貴重な動画を見つけることができました。「鮮明な画像・音声ではない」と注意書きがなされていますが、リアルに動いている実機を見ることができればそれだけで価値があると思います。それを惜しげもなく公開しているところが凄いですね。

この動画を見ながら推定画面サイズで再現してみました。ところどころ2色になっている部分があるので、多分、アトリビュートカラーではなく、セロファンで色をつけているのだと思われます。赤いラインの部分が特にその特徴が出ています。

ブロックは下降してくるだけではなく、赤いラインの部分に出現する星型のキャラクタを壊すと4段下げることができます。見ている限りでは数回パドルで反射させることが出現条件のように見えます。この降りてくるブロック崩し、近代だと同社の「プチカラット」*1が記憶に新しいところです。

このユーザは他にも1978 〜 1980年代のビデオゲームと、LSIゲームなどの動画を公開されています。閲覧回数が非常に少ないようで勿体無いですが、有名になりすぎても動画削除とかされてしまう可能性もあり、ジレンマに陥ってしまいます。

*1:切り離せるのは「パズルボブル」の要素なのか、それともセガの「ポトポト」なのか

ウェスタンガンの画面を再現

画面解像度は合わせてないけど・・・

Youtubeに「アーケードゲームミュージアム」という動画がアップされていました。2年くらい前にアップロードされているみたいですね。気付きませんでした。

これらの貴重な動画は全部で3種類あって「スピードレース」「ウェスタンガン」「ブルーシャーク」が紹介されています。いずれも黎明期に作成されたゲームということで、実際に動いている画面や音を聞くことができるのは嬉しいですね。

この動画の画面を見ながら、ウェスタンガンのドットを拾って画面を再現してみました。

Evezooのゲーム制作7ヶ条

スーパーソフトマガジンのスペシャルインタビューを読んでいたら面白かったので要約して抜粋してみました。

現代でも十分に通ずることを仰っています。こういう発想があるからぜビウス、ドルアーガ、イシターみたいな独創的なゲームが生まれてきたのでしょう。やっぱり凄い人です。

  1. 「こんなことできないかなぁ」とアイディアを先行させること
  2. そのアイディアが何かに似ているならボツにすること
  3. 途中で諦めず、妥協を許さないこと
  4. 技術的に可能、不可能であるかよりアイディアを先行させること
  5. 自分で面白いと思うゲームを作ること
  6. 「見た目が良ければ面白いとは限らない」ということを知ること
  7. 偶然性を持たせ、ゲームをする度に新しい体験や発見をさせること

中でも流石だなぁ、と感心してしまったのは6番目。これはセガテトリスがゲーセンに登場して流行したときに言われていたと思いますが、それよりも数年前に同じことを言っている辺りです。モノの本質をしっかりと捉えているということでしょうね。

7番目は宮本茂が言う「プレイヤーがなぜ失敗したのかをプレイヤー自身にちゃんと理解させる」と併せて意識したいところですね。つまりは画面内の状況をプレイヤーがうまく把握できる情報をうまく質的・量的にコントロールしなければいけないということでしょう。

風営法改正にゲームが括られた理由

爆発的に増加している

1985年2月13日、風俗営業等取締法が改正案が施行され、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(以下、風営法とする)となったときにゲームセンターはその括りの中に入れられてしまいました。これはその昔、子供たちでも遊ぶことが許されていたパチンコが、パチンコの結果として「生活必需品」を提供する店舗が増えたために風営法で括られてしまった、ということと経緯が似ているかもしれません。

インベーダーブームの際にも似たような問題はあり、スペースインベーダーのハイスコアを叩き出したプレイヤーに対して、ウィスキーやドリンク券などの景品を提供する喫茶店やスナックが現れたことがありました。これらの行為はあまりにもプレイヤーの射倖心を煽るものとして、全国各地で喫茶店やスナックが摘発される、という事件になって報道されています。また、このような行為だけでなく、当時流行っていたゲーム機賭博の問題も風営法で括るための根拠となってしまった感は否めません。メダルゲーム機は景品を出すことができないものであるということで風営法の対象外となっていましたが、機械を違法に改造して現金を投入させて現金を払いだすという形で遊べるようにしたものが蔓延していました。徐々に非常に規模が大きくなりつつあるこの違法賭博は、もちろん暴力団の目にも留まり資金源となっていくようになります。

インベーダーブームから風営法の改正までにはかなりの隔たりがあり、他にも何か重要なファクターがあったのではないかと思って調べてみました。警察白書を見てみると、風営法が改正される前年は以下のような状況にあったことがわかります。

遊技機を設置し、客に遊技をさせる営業のうち、風営法の規制を受けないものにゲームセンター等がある。これらの店舗においては、ポーカーゲーム等のテレビゲーム機等を使用した賭博(とばく)事犯が56年後半から急激に増加し、強力な取締りの結果、一応の鎮静化傾向をみせてはいるが、58年のゲームセンター等における賭博(とばく)事犯の検挙件数は1,671件、検挙人員は8,482人、これらの検挙に伴い押収した遊技機及び押収賭(と)金は1万 3,002台、約7億6,000万円に上っており、更に継続した対策が必要である。

風営法改正案が国会を通過したのはこの年の1983年8月、この警察白書の内容は1983年10月時点のデータであるので時間的には前後していますが、「ポーカーゲーム等のテレビゲーム機等を使用した賭博(とばく)事犯が56年後半から急激に増加」という点が風営法適用の引き金になったことは否めないような気がします。試しにデータを拾い集めて図にしてみたらこれらのゲーム賭博は増加が著しいことが見て取れます。1億に満たなかった押収金額がたった数年で8億近くに伸びていますから、著しいというよりはもはや「異常」と言ったほうが良いかもしれません。

ここで風営法が改正されたときに追加された条項を引用して見てみます。

スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(国家公安委員会規則で定めるものに限る。)を備える店舗その他これに類する区画された施設(旅館業その他の営業の用に供し、又はこれに随伴する施設で政令で定めるものを除く。)において当該遊技設備により客に遊技をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)

本来であれば、ビデオゲームはスコアというものを表示はしますが、その結果にによって何かを供するということはありません。しかし、前述したような事例が条文の中にある「本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いること」に引っかかってしまったわけです。もちろん、ゲーム業界側も黙って見ているわけではなく、「賭博を助長する特定機種を規制対象とすればよい」などの意見を出したようですが、それは聞き入れられなかったといいます。当時の国会答弁で警察側の考え方は「内容が健全かどうかということと、賭博に使用できるかどうかということは別問題として考える」「もし内容によって区別し、除外する機種を設けたら、それを利用する脱法行為を助長し、悪徳業者を却ってはびこらせてこまった状況になる」というものでした。

しかし、私がもっと引っかかったのはゲーム業界が発した「インベーダー自粛宣言」の元ネタです。実はこれ、改正前の風俗営業等取締法を参考に作られたもので、警察の指導が入っていたことを考えると既にレールの上に乗せられていたのではないか、と思うのは邪推でしょうか。


参考文献:警察白書アミューズメントジャーナル、読売新聞

パチンコ業界の受けたダメージを調査

どれくらいの打撃を受けたのか

インベーダーブームの際にダメージを受けたというパチンコ業界には実際、どれくらいのダメージがあったのかを調べてみました。

客観的に見える数字として営業所数というものがあるので、警察白書を使ってデータを拾い集めてみました。集めたのは「パチンコホール」、「喫茶店」、そして「雀荘」です。雀荘を入れたのは近しい営業形態だからです。ゲームセンターに関してはインベーダーブームの際に行われた本格調査までは具体的な統計を取っていないようで、ゲーム上と言えばギャンブルブームで検挙数が多かったメダルゲーム場などが多く、また、しっかりした数値では統計を纏められていなかったため割愛*1しました。

このグラフを見る限り、インベーダーブームが来る前のパチンコホール9,000店舗後半から10,000店舗へ伸びる傾向を示していて、パチンコブームの到来が見て取れます。しかし、インベーダーブームの影響で1978年以降は年間平均にして約350店舗程度が減っていき、パチンコブームが始まる前の1974年前半くらいまでの店舗数に一旦下がっています。全体数の比にして約0.7割、決して小さい数字ではないと思います。その後、1980年にフィーバー機が出たこともあって、再び増加に転じて順調な伸びを示しています。

一方、インベーダーブームを底で支えていた喫茶店は店舗数の増加が顕著で、インベーダーブームの動きに合わせるかのように1978→1979にかけては2,000店舗増、ブームがピークとなった1979→1980にかけてはなんと6,000店舗増という数字になっており、なんとも面白いグラフになっています。以後、堅調に増加していっているようですが、1984年に9,000店舗増になっているところが気になります。この年の喫茶店は今のところまだ管轄外なので機会があれば調べてみたいところです。

そして、雀荘。こちらは1978年辺りから徐々に減っているようですが、警察によるギャンブルの取り締まり強化が影響しているとも取れますが、かなり緩やかな下り曲線となっているので純粋に他のレジャーに客が取られていった、と見るのが良さそうです。

*1:メダルゲームのみを扱う店舗数と副業としてメダルゲームを扱う店舗数がありますが、年度によってどちらを使うかは書き手次第、ということでデータが飛び飛びになっている。